明日の友237号「共に生きて」(婦人の友社)で紹介されていた、「かにた婦人の村」に行って来ました。
私たちの遠慮ない訪問を気持ちよく迎えてくださった天羽シスターは、入り口で迷ってしまった私たちを誘い、坂を降りたり登ったりして始めからその健脚ぶりを見せてくださいました。
講堂に準備された椅子に私たちは座り、静かに、しっかりと、かにたの歴史を話すシスターの姿を目に耳にしました。
その後、かなり急な坂を100メートル近く登って手作りのお伽の国のようなチャペルに案内されました。
シスターは普通に登る。私たちは次第に汗ばみ、シスターに負けじと言う気持ちで(笑)登ります。
地下にある納骨堂にも案内されました。
シスターの後ろ姿を写真に納めたのはアニールです。
私が生きることについて考えるようになったのは1987年初めてヨガの聖地リシケシを訪ねたとき、たまたま瞑想の時を過ごしてアシュラムに戻って来たヨガの師、チダナンダ師に偶然出会ったことでした。ヨガも習い始めで何も深い知識がなかった私は師の痩せた身体全体が光輝く瞬間を目にしました。
世界には聖人が存在することを体験したのです。
理由なく、解説もなく、スッと分かりました。
ずっと後に何かの本に、人は生きている間に一度は聖人に会うべきだ、という文章を読みました。確かにそうだ、と思いました。
何かのためや損得ではなく、ただ聖人の近くで〈感じる〉こと。
チダナンダ師に出会ったときに〈感じた〉ことがそれ以後の私に多少であっても善い方向へ進むことを教えてくれたと思います。
天羽シスターにお会いできて、かにた婦人の村に続く道に光を指してくれました。
私たちができる方法で同じ女性たちの助けになれるように、そして、自分の人生を歩むときにかにたの女性たちも歩んでいることを忘れない生き方をしていきたいと思います。
幸せな一日、でした。
秀子